空を見上げる古い歌を口ずさむ pulp-town fiction/小路幸也
みんなの顔が<のっぺらぼう>に見える――。息子がそう言ったとき、僕は20年前に姿を消した兄に連絡を取った。家族みんなで暮らした懐かしいパルプ町。桜咲く<サクラバ>や六角交番、タンカス山など、あの町で起こった不思議な事件の真相を兄が語り始める。懐かしさがこみ上げるメフィスト賞受賞作!
かなり久しぶりに引っ張り出してきました。
初読はメフィスト賞受賞作を読み漁っていた高校生のとき。図書館で借りて読んだのを覚えています。
そのときは知らなかったのですが、パルプ町って本当にある町なんですね。
てっきり架空の町だと思っていました。
物語は「僕」の息子の「のっぺらぼうに見える」という不可思議な発言からはじまります。
僕が兄であるキョウ――恭一に連絡を取り、恭一の昔語りを聞く、という体裁をとっています。
過去と現在が混合した不思議な語り口で、語られる内容も変わったものなので、読んでいてとても不思議な雰囲気に満ちています。
読んでいておもしろんです。物語に引きこまれる感じもあるんです。でも中々読み進められない。そういう不思議をはらんでいる本でもあります。
地の文が多く、かつ改行が少ないから文字数が同じ厚さの本と比べたらだいぶ違うんじゃないかな?だから読んでも読んでも進まない印象を覚えるんだと思います。
メフィスト賞受賞作とあるので、ミステリーだと思って手にとった覚えがありますが、この作品に関してはミステリーではないです。
佳多山大地さんが解説で述べられている通り、
『かつての少年少女のための児童文学』なんですよ。
キョウが経験したひと夏の出来事。
多くの死を経験しているものの、その全ては自殺であり、事故死であり、病死である。
だから殺人事件が起きてとかそういう意味のミステリーを期待していたのなら肩透かしを食らうかも。
でも、キョウが何故のっぺらぼうが見えるようになったのか、顔が見える人がいるのは何故か、顔が見えなかった人でも見えるようになると危険になるのは何故か。
そういう謎は多く仕込まれているので思わず引きこまれます。
キョウ、カビラ、シホ、ケイブン、アサミ、そしてほとんど出番はないとはいえヤスッパ。
語られる子どもたちの世界がとてもリアルに感じました。
ノートの話にはじまる大人になった今なら笑い飛ばしてしまうような怪談話だとか、子どもたちの間だけで通用するルールだとか読んでいてすごくそれっぽいな、と。
最後、キョウの正体というか、のっぺらぼうに見える人と顔が見える人の違いだとかそういう説明もされてます。
<解す者>、<違い者>、そして<稀人>。
正直、そこらへんに対する説明はあまりされていないので、「なんとなくそんな感じなのかな」と言った程度の理解しか出来ません。
pulp-town fictionシリーズはもう1作ありますが、あれはあれで別物ですしね。
そこまできちんと説明されていたような記憶はないです。
私が忘れてしまっているだけかもしれませんが。
ぶっちゃけた話、最後に明らかになる全ての死を後ろから操っていた人物があまりにも凄すぎてびっくり。
完全犯罪も夢じゃないというか、事故、自殺、病死として処理されているんだから完全犯罪が成立しているんですね。すごいな。
それをさせないように<解す>訳ですが、ちょっと終わりがすっきりしないような印象を受けました。
でも、おもしろいことは確かです。
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