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(腐)的感想文

隠れ腐女子の日常と小説や漫画の感想を書いてきます。

   

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夏と花火と私の死体

夏と花火と私の死体/乙一
九歳の夏休み、少女は殺された。あまりに無邪気な殺人者によって、あっけなく――。
こうして、ひとつの死体をめぐる、幼い兄妹の悪夢のような四日間の冒険が始まった。
次々に訪れる危機。彼らは大人たちの追及から逃れることができるのか? 死体をどこへ隠せばいいのか? 恐るべき子供たちを描き、斬新な語り口でホラー界を驚愕させた、早熟な才 能・乙一のデビュー作、文庫化なる。


ちょっと前に手に入れる機会があったので随分久しぶりに再読です。
なので(?)私が持ってるのは藤崎竜カバーではなく石段が描かれた方だったりします。


短い作品なので、表題作【夏と花火と私の死体】【優子】が収録されています。
まずは、【夏と花火と】の方から。
この作品の何がすごいかって、タイトルの通り"私"は"死体"なんですよね。
冒頭で物語の語り部である少女・五月は死んでしまいます。

主人公が初っ端で死んでしまう作品っていうのはまあ、なくはないです。
漫画ですけど、幽遊白書あたりが有名でしょうか。
けど、幽白はよみがえりますし、最近流行りの異世界転生モノも主人公が初っ端で死ぬけど転生ですから物語のほとんどが生者として語られます。
主人公ではなく、他の登場人物が死んで後ろで幽霊としてフワフワしてる状態で語り手を担う作品もちょっとすぐには思いつきませんが探せばあるでしょう。

けれど、この作品はそれらとは一線を画しているのです。
何が違うかって物語の最後以外すべて"わたし"の視点で語られているという何とも不思議な書き方をされているのです。
解説の小野不由美さん(豪華!)の言葉を借りると
「これはむしろ、『わたし』という自称を持つ神の視点なんだと思う。(中略)この神はかつて五月という九歳の少女であり、五月の記憶を持っており、五月の情感の残滓を留めているのだが、確実に記述上の『神』だ」(p218)
こんな感じ。

聡明かつ胆力のある少年である健くんの主導で、妹の弥生ちゃんとともに五月の死体をどうするかと右往左往する訳ですが、正直ご都合主義な感じはあるし、ラストはあれで五月の死体が見つからないことになるのはちょっと無理があるでしょう。
それでも死体の視点で語られるという奇抜さだけで読ませるだけの力があるすごい作品。

子どもの無邪気さが恐ろしい作品でした。


次は、【優子】
再読なのでこちらも一度読んでるはずなんですが、全く覚えていませんでした(笑)
清音という少女がとある家で住み込みで働くようになり、その家の主人の妻の存在に不信感を抱くようになるお話。
叙述トリックの妙というか、清音の視点で語られているからこそ許される作品ですね。

どこまでが事実であり、どこからが幻覚だったのか……。
途中でなんとなく気づきましたが、それでも不気味な作品でした。

今度はダークじゃない乙一作品を読みたいです。

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百年文庫 1 憧

百年文庫 1 憧/太宰治、ラディゲ、久坂葉子
「自分はポオズをつくりすぎて、ポオズに引きずられている嘘つきの化けものだ」――。素朴な人間であることを願いながらも実生活を知らず、小さな出来事に夢想をひろげる少女の内面生活を描いた『女生徒』(太宰治)。パリの放埓な暮らしにつかれた若者が田舎の娘に恋をする『ドニイズ』(ラディゲ)。自ら命を絶つ直前に「小母さんへ」と書き出された久坂葉子の遺作『幾度目かの最期』。罪の意識と愛への憧れがほとばしる、青春の自画像ともいうべき三篇。


図書館で借りてきました。
5年以上もそこにあったであろうに全然目につかなかったのですから不思議です。


百年文庫とは、「日本と世界の文豪による名短篇を、漢字一文字の趣に合わせて一冊に編むアンソロジー」とのこと。
とりあえず、順番に……と思って1から借りてみましたが、アンソロジーの特性上自分の読みたい巻だけ読みたい話だけつまむのでも問題なさそうです。

今回収録されているのは、
【女生徒】太宰治(1909-1948)
【ドニイズ】レイモン・ラディゲ(1903-1923)
【幾度目かの最期】久坂葉子(1931-1952)

の3篇といわゆる解説である【人と作品】です。

とりあえず3篇読んで浮かんだのが某死神漫画の名セリフ。
「憧れは理解から最も遠い感情だよ」
でした。
いや、私某死神漫画、雑誌でパラパラと読んでいた程度なんで詳しくないんですけどね。(実際、仮面の軍勢出てきたあたりからついていけてない汗)

あらすじにある「罪の意識と愛への憧れがほとばしる、青春の自画像」っていう意味で読めたのは【女生徒】だけでした。
とある少女がああでもないこうでもないと夢想しつつも現実からは離れられないというのはすごく青春らしくて憧れっぽい。
【ドニイズ】もまあ、少年と少女の恋でちょっと痛い目見ちゃった、っていうのもまあいいでしょう。
青春小説というにはちょっと表現が直接すぎる気がしますがまあ読めます。

でも、【幾度目かの最期】は読んでいて辛いし、【憧】というテーマからするとどうだろう??と首をかしげてしまいました。
小母へ宛てる手紙という体をとって語られる女性の心はぐちゃぐちゃ。
日ごと時間ごとにあがったりさがったり揺れる心を思いつくままにつらつら書き連ねているので読んでいてなんだか不安になってきます。

読後感に圧倒されるまま、【人と作品】を読むとどうしても作者の心そのものだったのだろうか、と考えてしまうのですごく欝々としてしまいました。
タイトルである【幾度目かの】ということは何度も死のうとしたということ、そして久坂自身も何度も自殺未遂を繰り返していたということですし……。


それにしても、3人のうち2人は若年で亡くなっていて(ドニイズが腸チフスで20歳、久坂は21歳で自殺)、残る太宰は38歳で自殺してるのですから本当にすさまじい。

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朝のひかりを待てるから

朝のひかりを待てるから/アンジェラ・ジョンソン(訳/池上小湖)
人生をさかさまに生きられたら、人はもっと幸せなのに……。
コレッタ・スコット・キング賞
マイケル・L.プリンツ賞受賞作


図書館でたまたま目についたので借りてきました。
それなりに古い本なのに、全然見た記憶がない本ってまだまだたくさんあるんですね。


主人公は16歳の少年・ボビー。
まだまだ遊びたい盛りの少年が、父となる様が描かれています。
娘のフェザーの面倒をどうにかこうにか見ている【いま】と、恋人のニアの妊娠を知り子どもが産まれるのまつ【あのころ】が交互に語られるのですが、フェザーの世話をするボビーのそばにニアの姿がなくいったいどういうことなんだろう?と首をかしげつつ読み進めていきました。
途中で養子縁組云々の話が出ているのに、ボビーがフェザーを育てていることにもどこか不穏な空気を感じました。

まさかそういう結末になるとは……と。
【いま】と【あのころ】以外に登場する【ニア】と【ヘヴン】。
【ヘヴン】は天国ではなく、地名なのですがそれでもその名前にはものすごく考えさせられます。

私はあまり読んだことはありませんが、少年少女の妊娠出産を描いた作品は多く存在すると思います。
けれど、それらのほとんどは母親となった少女の視点で語られるので少年視点というのは中々珍しいと思います。

作品自体も150ページもない短い作品です。
1時間、2時間あれば十分に読み終えることが出来る作品なのですが、淡々とボビーの心情が語られていることもあり真に迫るものがあります。

ただ、そうはいっても若い世代の妊娠出産で一番の問題になるであろう世間体や金銭的な問題等については特に触れられていません。
そこをファンタジーととるかは読者によると思います。
私個人としてはボビーの母親は心を鬼にして孫の世話を手伝うことをしていないのですが、金銭面ではそうでもないのかもしれないなーなんて思うのですが。


訳者あとがきによると、『天使のすむ町』に登場するキャラクター・ボビーについてもっと知りたいという声に答えてこの作品は生まれたのだとか。
地元図書館にもこの本はあるようなので、機会があればそちらも読んでみたいですね。

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